普段から涙を流すと気持ちが安定してくる気がする
オトナになると泣かなくなる
皆さんは最近涙を流して泣いたことがありますか?
大人になると、普段の生活で涙が流れる状況というのは、稀なような気がします。
最近は、新型コロナの影響で、悲しいことが多くなりましたので、機会は以前より多くなっていますが。
涙を流さなくても、特に生活に支障はないですが、涙には、精神的に良い効果があるという話を耳にしました。
かなしみの涙と、感動の涙では、違うのかもしれませんが、確かに涙を流した後って、少しスッキリした気がします。
なので、この精神的に効果があるというのは、一理あるのかなと思ってきました。
感動で涙する機会を増やす
悲しい涙は嫌ですが、感動の涙は良いように思います。
映画やアニメ、小説、舞台、歌、芸術など、それを見ると感動して涙がでるコンテンツに触れるようにすると良いかもしれません。
意識的にコンテンツをストックして、定期的に観るというところまで、こだわるのも良いですが、なるべく感動できると思われる質の良いコンテンツを少し意識して探すだけでも違うと思います。
感動の涙を得るためのコンテンツとして、一番手軽なのは「歌」だと思います。
歌は、だいたい3-5分くらいなので、単純に聞いてから涙がでるまでの時間が短くてすみます。ちょっと慣れてくるのも早くて、感動できなくなってくるのも早いですが、様々なコンテンツも楽しめますし良い方法だなと思います。
映画やドラマ、アニメなどもいいように思います。
毎回全部観る必要はなくて、自分のお気に入りのシーンなど、それを観ると自分が必ず泣いてしまう「感動ポイント」だけ観るというのもオススメです。
エンターテインメントの大事さに気づく
人生の中で、心と身体のためにも感動の涙は必要だと思います。
その感動を提供しているエンターテインメントは、本当に重要だなと思うようになりました。
今、コロナの影響で、その大事な大事なエンターテインメントを提供してくださる側の人々が大変な状況になっています。
この大変でストレスフルな時こそ、エンターテインメントが大事なのに、状況は悪くなるばかりです。
目の前行われるリアルタイムのお芝居や歌、演奏を観ることができないこの状況は、この感動の機会をどんどん失っているということなのです。
アーティストの方々には是非がんばってほしいです。提供側の方々もです。
ライブは難しいかもしれませんが、良いコンテンツはかならず反復して観続けられるので、ネットでアーカイブのかたちで残してほしいです。
本当に残念な気分で、悲しいほうの涙がでてきてしまいそうですが、
これを感動の涙に変えてくれるエンターテインメントを消費して、なるべく提供側やアーティストの皆さんを支援したいと思います。
自分は存在しているだけで既にユニークだということ
自分には特徴がないという思い込み
才能がある人や成功している人を見ると、「ああ自分はなんて特徴がない凡人なんだ」と落胆してしまう時があります。
新型コロナの影響で、人の集まりは減ってしまいましたが、例えば、初めて会う人に、知人が自分のことをどう紹介するかというのを聞いていると、誠に残念な感じです。
まあ、やっている仕事や組織の紹介とか、
知人との関係性とか、
どうしてここにいるのか、
くらいでしょうか。
「特徴ないなぁ」
と、素直に思ってしまいます。
なにか誰もが知っているタイトルを持っているとか、それこそなにかの大会で優勝など、偉業を成し遂げている人は、こういう時便利だなと思ってしまいます。
何も特徴がない人などいない
ちょっと初対面の状況で残念な感じがしましたが、落ち着いてよく考えてみると特徴がない人なんていないように思います。
人それぞれ、顔も声も違うし、趣味趣向、考え方まで何もかも違います。
自分と全く同一人物は、この世に存在しません。
そうなると、なんなら、そこに存在しているだけで、ユニークなような気がします。
初対面では説明の時間が足りないだけで、掘り下げていくといっぱいでてくるかもしれません。
なにか誰もが知っている記録がある人は、説明が楽になるか、印象に残りやすいくらい思っておけばいいかなと思えてきました。
まあ、あると便利なので、自分も努力してなにか作りたいなと思っています。
特徴は既ににある
自分は存在しているだけで、既にユニークなのだ。
そう思えると、少しだけ残念な気分がなくなりました。
自分がそう思っているということは、周りにも伝わると思いますし、態度にも現れてきます。特徴がないと思っていたときよりも自信をもって人と接することができるようになるとおもいます。
考え方次第で気分も態度も変わります。
これからも自分のユニークな部分を増やしていきたいと思います。
どう思われるかはあまり気にしなくていいかもしれない
人にどう思われるか不安に思う
人前で話したり、ミーティングや人と会話をするときなどは、相手にどう思われるか不安に思うことがあります。
「こんな内容で、なにも得るものがなかったと思われたらどうしよう」
「うまく話せなかったらどうしよう」
「質問にうまく答えられなかったらどうしよう」
などと、思い浮かんでくるとキリがありません。
そうなると、無駄に準備に時間をかけてしまったり、いざ本番ではげしく緊張して、噛みまくってしまったり、余計に変なことを言ってしまったり、良いことなどなにもありません。
自分以外の視点で考える
少し冷静になって聞き手側のことを考えてみます。
自分は、昨日誰かが話した内容を覚えているでしょうか?
・・・・・
かなりというか、さっぱり覚えていません。。。(笑)
どんな顔だったかも、うすらぼんやりとしか覚えていないですし、メモなどをとっていないと話の内容も思い出せません。
全体のふわっとした印象しかないです。
それならあまり気にしなくてもいいのではないかと思います。
こうなると、伝説になるほどの衝撃的な話か、とんでもない失敗をしない限り、ほぼ記憶に残らないのかもしれません。
そこまで不安に思わなくても良い
他人は自分が思っているほど自分のことを気にしていないのだと思います。
従って、そんなに不安に思う必要もありません。
自分ではわりとやってしまったという失敗でも、おそらく大半の人は覚えていません。覚えていても、次の日くらいには忘れています。
考えとして頭に浮かんで来ないでしょう。
自分のことを四六時中考えている他人など、そこまでいないということです。
もちろん、アイドルや有名人となると、少し違ってきますが。。。
気にしなくてよいというのは、とても気が楽です。
気にしすぎてなにも行動できないより、行動してしまったほうが良いです。
周りを気にせず、ガンガン挑戦して良いということだと思います。
なんでも受け入れる姿勢をみせる大切さ
否定の言葉はじわじわ効いてくる
受け入れる姿勢を示す
受け入れられている安心感が大事
相手によって言葉使いを変えない
相手によって態度が変わる人
話す相手によって態度が一変する人がいます。
上司には敬語だが、部下にはタメ口か、ちょっと横柄な態度の人
お客様には敬語だが、飲食店の店員さんなどにはタメ口な人
なぜか、こういう人と一緒の空間にいると、とても違和感を感じてしまいます。
私に対して、
「そうですか、承知しました」
と、言っている人が、
「それって、どうなの? できるんだっけ?」
と、同じ空間で違う人と話しています。
なんだか、気分がとても悪くなるのですが、
なんとなく、
「本来のこの人は横柄な態度で人を見下した人なのですが、私に対しては無理して敬語なのかな」
などと、勝手に思ってしまいます。
自分のことを振りかえる
私はこの違和感を感じてから、もしかしたら自分もそうなのではと検証してみたことがあります。
やはり、私も自分のチームの人たちには多少丁寧語を使わない場面がありました。
幸いなことにお店などで、店員さんと話すときに横柄な態度はとっていませんでした。
どちらかと言うと丁寧なほうだったようです。
この違和感を相手が感じているとしたら、なんとなく嫌な気分だったので、なんとかする方法を考えたのですが、あまり良い方法がわからなかったので、誰とでも同じにするというのがシンプルかなと思いました。
いつも同じ言葉使いで話す
基本的に全員に対して丁寧語を使うことにしました。
いわゆる、「です」、「ます」調で話す程度ですが。。
目上も、年下も、お客様も、私がお客さんでも変わりません。
最初は多少難しい面があると思います。たとえば、会社の後輩や部下に対しても同じ言葉使いなので、自分の立場が下がった感覚が多少あります。
しかし、気にしないことにしました。
相手が親しげにタメ口できても、基本丁寧語で返します。
ただし、家族や親友と呼べる人たちだけは例外としました。
親友なのに、よそよそしくなるとすこし変だからです。ただ、親友自体は数が少ないので、簡単にコントロールできます。
親密度は呼び方で変える
全部同じ言葉使いですが、それでも仲の良い人というのはいます。
そういう人には、親密度を伝えたいので、私の場合は、呼び方を変えています。
下の名前で呼ぶとか
「さん」ではなく、「ちゃん」や「君」
を付けるなどです。
ただ、よほど仲が良いと思っている人でないとこれをしませんのでとても稀です。
言葉使いの統一で気分良く過ごす
私は、言葉使いを統一して何年か過ごしていますが、今の所うまくいっていると思っています。
横柄な態度を示すような人からみると、威厳や迫力がないなどと、多少思われていると思いますが、そういう人とはもともと積極的に付き合わないので、特に問題ないかなと思っています。
言葉使いを統一すると、シンプルで気分良く過ごせるような気がします。
コロナでひきこもりなので意味もなく外を歩く
理由なく外を歩く
新型コロナの影響で、自宅以外の屋内で活動する機会が激減してしまいました。
大変さびしいお話ですが、マスクをして、外を一人で歩くのであれば、新型コロナの感染など特に気にしなくても良いように思います。
もちろん人がたくさんいるところは避けてです。
いわゆるひとつの「散歩」ですが、色々とテーマを決めて散歩するのも良いかなと思っています。
アイディアを考えるために外を歩く
なにか煮詰まったときとか、新しいことを考えたいときに外を歩きます。
まっすぐの道をただ歩くだけです。
私は気がつくと時空が歪んでいるのではないかと思ってしまうほどの方向音痴で、ある程度知っている道でないと、不安になってしまって何も考えられなくなるので、知っている道を歩きます。
マスクとワイヤレスイヤホンなどをしていれば、電話しているようにも見えるので、独り言も言い放題です。ぼんやりまわりを見ながらあるくと、たまに良いアイディアがうかんだりします。
そうしたらすかさず道の脇に立ち止まってスマホでメモします。
立ち止まらないと自転車にひかれたりするので、ガードレールか建物を背にしてとまります。
なんだか狙われている人みたいですが、歩道を爆走してくる自転車は、わりと危ないので気をつけています。
気分転換のために外を歩く
気分転換のときは、あたらしいことをしたいので、あえて知らない道を歩きます。
家の周りの近所でも、しらない道や場所があるものです。
私はこの知らない道を歩く方法で、何年も住んでいる自宅のまわりに、知らなかった公園をいくつか見つけています。
こんなところに、こんなものが。。。
このなぞの建造物はなに??
段差がすごいなこの辺。。。
あれ?ここ工事中になっているけど、前なにがあったっけ?
などという新鮮な驚きは、はげしく気分転換になります。
とにかく知らない道に入るというだけなので、近場でできる身近な新体験です。
外に出ないと停滞する気がする
新型コロナの影響で、在宅勤務が増え、まったく外に出ない日が何日も続いたことがあります。やはりこの時は、なにか原因不明の不安感や倦怠感などを感じました。
やはり外の空気を吸うだけでも、気分を良くする効果があるように思います。
できれば天気の良いお昼間に歩きたいですね。
これからもなるべく意識的に外へでていきたいと思います。