人生のヒント

人生や仕事をする上で役に立つヒントを書いています。外資系IT企業で働くビジネスマンとして、仕事の中で学んできた知識を共有していきたいと思っています。

在宅勤務で移動がなくなり、休憩が減ったのかもしれない

こんにちは、しんごです。
人生に役立つヒントを短い文章で書いています。
 

在宅勤務で減った「移動」

 コロナの影響で在宅勤務が増えて、自宅からオフィス、オフィスからお客様先などの移動が全くなくなってしまいました。
 
以前は、お客様とのミーティングを終えて、オフィスにもどるといった移動の時間がありましたが、全てビデオ会議などで済ませられるため移動が必要なくなったのです。
 
移動がないということは、単純に使える時間が増えるということで、業務や家族、趣味のために使える時間が増えるので、メリットも大きいと思います。
 

「移動」は、「休憩」でもあった

今考えると、移動中は、よい気分転換になっていたなと思いました。
 
移動しているので完全に休んではいませんが、一瞬仕事のことを考えていなかったりするので、ある意味休憩となっていたと思います。
 
会議が重なっていても、会議室を移動する時間があったと思います。
ビデオ会議だとそれもないので、下手をするとびっしり会議を入れられてしまいます。
何時間もぶっ続けで会議というのは、かなりしんどいです。
 
こうなると移動って、ある意味休憩にもなって良かったなと、思ってしまいました。
 

意識的に空白時間をつくる

在宅勤務の場合は、予定表で「ブロック」という予定をいれることで、会議依頼をいれられないようにして、意識的に空白の時間をつくるほうが良いように思います。
 
隙間ないミーティングは、運良く前の会議が早く終わらないと、次の会議の準備もできません。
 
また、作業であっても、意図的に休憩時間を入れるようにしたほうが良いと思います。
 
アラームを設定して、何分作業したら、何分休むといったかたちで決めるのも良いと思います。
 
疲れてくる前に休憩をいれるのが理想です。
 
疲れてから休憩すると、余計に休んでしまって、ペースも崩れるし、無駄な時間が増えて能率が下がるからです。
 
きちんと休んでリフレッシュしながら、仕事を進められるようにしたいです。
 

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怒りの制御は難しいけどしたほうが良い

こんにちは、しんごです。
人生に役立つヒントを短い文章で書いています。

怒りの制御は難しい

相手に非難されたり、納得のいかない行動をとられると、怒りの気持ちがわいてくるものです。
 
イライラしてきて、感情が爆発し、怒りで大きな声がでてしまうこともあるでしょう。
 
「カッとなって、○○した」というフレーズなどがニュースなどでよく使われますが、まさにその状態です。
 
私も過去怒りのあまり、後輩を大きな声で怒ったりしてしまったことがあります。
こちらも嫌な気分ですし、その相手も私から離れていきました。
 
自分が明らかに正しいという思いで、相手を叱るかたちにしていたつもりですが、威圧的な態度で相手に怒りをぶつけるというのは、相手を下に見て屈服させ、自分の言うとおりにさせようとする行動だと聞いたことがあります
 
結果的には、良いことなど一つもありませんでした。

怒りを制御する方法

なんとかして怒りを制御できるようになりたいと思っています。
方法をいくつかいくつか考え出して、状況によって使い分けるようにしています。
具体的には下記のようなものです。

怒るパワーは無駄だと考える

私の学生時代の先生が、「怒るパワーは無駄なんです」と、普段からおっしゃっていました。たしかに、大声をあげたり、色々はなしたり、机をどんどん叩いたり、かなりカロリーを消費していますが、何も生産的な結果は得られていません。
 
ということで、怒りがこみ上げてきて、行動に移そうとする段階で、これは無駄だと自分に言い聞かせるというものです。

すぐに距離を置く

まず、一旦その場は離れたほうが良いかもしれないです。
 
なにかされた直後に行動したい気持ちはありますが、とりあえず、怒りの勢いでも何でもつかって、その場から物理的に離れます
 
そして、なるべく外や広い空間にいって、次のような呼吸などを使って心を落ち着かせます。

呼吸で心を落ち着かせる

怒りがこみ上げると、心拍数があがり、息もあがってきて、身体的に戦闘態勢になってしまいます。
 
呼吸は、身体の機能のなかで、自律的に動いているとともに、意識的にも制御できるので、身体とのつながりが深いように思います。
従って、これを窓口にすることによって、身体と心に働きかけることができるように思います
 
やることはシンプルで、深呼吸をして、気持ちを落ち着かせます。
息を吸うより吐くほうを長めにとると、落ち着いてきます。
 
相手が物理的に目の前にいる状況でこれをやるのは難しいので、相手から距離をとってから行います。

何も知らない人が話していると考える

相手は、自分のことや、事情を全く知らないと考えます。
 
私自身でも自分の事をよく分かっていないのに、他人にわかるはずがないですし、相手が必ずしも事情を正確に理解しているかも怪しいものです。
 
相手は、相手の思う私の姿を見ていますし、こうであってほしいという事実を選択しているのです。
 
何も知らない相手が、何を言っていようが気にすることはないくらいに考えます
 
同じことが自分にも言えるので、結局何も知らない人たちがぶつかり合っても無駄だと思っても良いように思います

普段から気持ちの余裕を持つようにする

疲れていたりして心に余裕がないと、すぐに爆発してしまいます。
これは、対応策というよりも予防策となりますが、普段からきちんと休息をとって、なるべく気持ちに余裕がもてるようにしておきます。

怒りの制御で気分良く過ごす

色々方法を考えてみていますが、怒りの制御は、感情の中でも大きな力をもっているので、制御するのはかなり難しいと思います。
 
ここに紹介した方法以外にもたくさん方法があると思います。
 
もし、皆さんのほうで「こんな方法を使っているよ」と、いったことがあればコメントいただけるとうれしいです。
 
怒りを制御して、生産的な時間の使い方をできるようにしたいです。

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在宅勤務で失っているかもしれないこと

こんにちは、しんごです。
人生に役立つヒントを短い文章で書いています。
 

在宅勤務で増えた、なぞの孤立感

 コロナの影響で在宅勤務が増えて、仕事でオフィスに行くことも少なくなってしまいました。
 
ビデオ会議や電話などで、人との交流は頻繁にあるはずなのに、なぜか最近なぞの孤独感や孤立感を感じるようになった気がします。
 
チームで働いているはずなのに、なぜかチーム感が薄く感じます。
 
「もしかして、私が知らないところで何かが進行しているのでは?」
 
などと、ありもしない不安を感じたりもします。
 

出社で感じた一体感と達成感

在宅勤務が増えたとはいえ、どうしても出社したほうが良い場面というのはあります。
そのため、先日ひさしぶりに出社しました。
 
主な目的以外にもせっかくなので、他の件も進められるように、色々な人とミーティングを行いました。(もちろんきちんと感染対策をしてですが)
 
一日が終わって振り返った時に、不思議だったのは、
在宅勤務のときとは違う一体感と達成感を感じたことでした。
 
基本的に、直接会って話している内容や、やっていることは、オンラインでも可能です。
 
ただ、確実にオフラインで話すことによる違いを感じました。
 
理由はさっぱり論理的に説明できないですが、感覚的には、「物理的に集まる」ことによる効果なのだと感じました。
 
何をそんなことでと思いますが、物理的に集まるだけで、こんなに精神的な効果があるということは、自分の中ではある意味発見でした。
 
人は「物理的に集まる」と、一体感を感じて安心し、達成感を増やすことができるのではと思います。
 

アフターコロナ・ニューノーマルにおける企業の姿

ビデオ会議の普及や、VRの有効活用ができることがわかり、これを機にオフィスや会議室の縮小、または撤廃を実行・検討している企業がでてきていると聞きます。
 
コストの面から考えると、オフィスなどの物理的施設は、かなりの比重を占めるので、削減したいと考えるのは当然だと思います。
 
ただ、個人的には、オフィスがなくなったとしても、やはり物理的に集まる機会は、あったほうが良いように思いました。
 
それは、組織としてチームで動く限り、物理的に集まるということだけで、先程のような人に与える「安心感」、「達成感の強化」という精神的な効果があるように思うからです。
 
ニューノーマルで働く環境は、もっと変化すると思います。
 
きっとこの物理的に集まる効果を活かすだけであれば、恒久的なオフィスではなくとも、一定期間集まれるスペースで仕事をするようなかたちが必要になってくるかもしれません。
 
今後もこういった変化を認識しながら、どういったかたちが良いのかを考えていきたいと思います。

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最後を美しく仕上げる

こんにちは、しんごです。
人生に役立つヒントを短い文章で書いています。

ものごとの最後だけよくないということ

 「終わり良ければ全てよし」という言葉があると思います。

 

私はどちらかというと、終わりだけがダメだったパターンを数多く目にしています。

 

仕事でもかなりいい感じで、目標も達成していて、全て良い感じなのに、最後だけ手が抜かれている報告書が提出されるといったようなものです。

 

会議はうまく言ったのに、議事録が残念でさっぱり進まないといったこともあります。

私自身も最後のツメがあまかったりして、最後だけ変な感じになったりしたことがあります。

最後がダメだめだと全部ダメに見える

人は忘れる動物なので、最初の方は忘れていて、最後の方の印象が結構残ります。

 

なので、最後がへんな感じになると、印象が途端に悪くなってしまいます。

最後の方は疲れてくるし、手を抜きたくなる気持ちもわかりますが、かなり残念な感じになります。終わった安心感もあるでしょう。

 

しかし、そんな時にいつも心に浮かぶのは、

「終わり悪けりゃ全てダメ」

という言葉です。

終わりの方を丁寧にやる

どんなことでも、終わりの方はとても気をつけるようにしています。

 

プロジェクトの報告

ミーティングの最後

会議の議事録

別れ際のご挨拶

 

なんでもいいのですが、最後だけ少し気をつけます。

最後を美しく仕上げることで、印象はとても良くなります。

 

ぶっちゃけかなり最後の方の印象しか残らないということも多々あります。

 

「終わり悪けりゃ全てダメ」

だから、これからも最後は少しだけ気合をいれてがんばろうと思います。

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挑戦があると成長が早まるような気がする

こんにちは、しんごです。
人生に役立つヒントを短い文章で書いています。
 

挑戦することで足りないところがわかる

自分の実力を超える課題があると、ものすごく努力すると思います。

できる限り準備したり、色々と試行錯誤すると思います。

 

うまくいくこともあるし、やはり実力不足で満足のいかない結果となる場合もあるでしょう。ただ、そこから学べるものは大きいと思います。

 

それは、自分が知らなかったことや、できなかったところが、よりハッキリわかるようになるからです。

 

また、もっと時間があったらこれを勉強したのにと後悔することは、次のモチベーションにもなるでしょう。従って、大事だと思ったのは、足りないと思ったところを書き留めて置くことだと思います。

 

後で見返して、そこを補えるように勉強するのです。

 

ブレーキが外れて、急速に成長する箇所がある

 挑戦することによって、できなかったことがわかるだけでなく、もう一つ大きなメリットがります。それは、

 

僅かかもしれないですが、急速に成長する

 

というところです。

 

追い詰められることで、自分の想像を超える力が発揮されるようで、急にできるようになることがあります。

 

それは、自分に課していた心のブレーキが効いていたところなのかもしれません。

それがはずれることで、急速に成長する感じがします。

 

 

適度に自分の実力を超える挑戦をする

 適度に少し怖いなと思う程度の挑戦をすることで、自分の足りない部分がクリアになり、ボーナスとして、急速に成長するスキルがあるかもしれないということなら、これをやらない手は無いと思います。

 

できるかちょっとわからないくらいがちょうど良いですね。

 

これからも、挑戦する機会をできるだけ作っていきたいと思います

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自分にできないことばかり悔やまないで、できることも考える

こんにちは、しんごです。
人生に役立つヒントを短い文章で書いています。

 

自分にはできないと思っていること

自分にできないことが、できている人をみることがあると思います。

 

単純にすごいなと思うとともに、できない自分がしょぼくて気分が沈みます。

 

「なんで、自分にはできないのだろう」

「もっと勉強しておけばよかった」

「あの時やっておけばよかった」

 

悔やむ言葉はたくさん出てきます。

 

こんなに後悔するくらいなら普段から頑張っていればよいじゃないかと思いますが、普段は普段で頑張っているつもりなので、最終的には自分には能力がないなと思ってしまいます。

 

できないことを悔やみすぎない

どうしても自分にできないことばかりに注目してしまいがちです。

できない自分がほんとうにダメなような気がしてきます。

 

そんなことばかり考えていると、頭の中で自分に言い聞かせている言葉が、ネガティブになっていきますし、自己イメージが低くなりすぎるのもよくないです。

 

最終的にあきらめて、できるようにしようとするやる気さえ失せてしまうと、本当にダメな感じになってしまいます。

 

できることに注目する

 自分にできないことは、気になります。

それを考えることは悪いことではないですが、できれば、それと同じタイミングで、できることも一緒に考えたほうが良いように思います。

 

「あれはできないけど、自分にはこれができる。よしよし。」

 

と思うこと。

 

できることや、できるようになったことを誇って、自分をほめても良いと思います。きっとできなくて、残念なことばかりじゃないです。できるようになったことも多いはずです。

 

できないと思うことは、多分やればできること

 なんでできないんだと思っている時点で、それはきっとできるようになることなのかなと思うようにしています。

 

おそらく、自分の脳力を大幅に超えているものは、「なんでできないんだろう」と思わないような気がします。だからやれば多分できるようになるのです。

 

とうことは、できなかったことをメモしておいて、できるようにすればいいだけです。

なりたい自分もそこにある気がします。

 

今日も

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忘れないうちに、「今度はできるようにすること」をメモしておこうと思います。

 

 

 

ユルさを許すことで別のことに使える時間を増やす

こんにちは、しんごです。
人生に役立つヒントを短い文章で書いています。
 

高すぎる「普通」の基準

日本に住んでいると当たり前に感じてしまっていますが、日本は特に「普通」の基準が高いように思います。
 
定刻通りの電車
注文通りの品物
美しい包装
 
仕事の資料などもきちんと準備され、一言一句誤植がないなど、普段の生活にも浸透しています。
 
これに慣れていると、知らぬ間に「普通」の基準が爆上がりして、ガチガチの完璧主義になってくる気がします。
 

高品質への行き過ぎたこだわり 

品質にこだわるあまり、そこまで重要でもないところに必要以上の時間をかけているような気がします。
 
海外と比較すると特にそう思います。
 
他の国だと、ちょっとくらい違ってても、結果がOKであれば良いのでは?
という雰囲気があるように思います。
 
問題に注目するのではなく、解決に集中しているように見えます。
 
以下は、コロナの前に経験した例です。
 
あるアジアの国のホテルで空港までの送迎車をお願いしました。
車種を選べたのですが、「高級車」と「普通車」があるとのこと。ホテルの方は、強烈に「高級車」をおすすめしてくるのですが、値段がちょっと高めでした。
 
私は普通車を選択したのですが、いざ出発の時に来たのは「高級車」でした。
 
「私がお願いしたのはこの車じゃないです」
 
と、言ったのですが、
 
「これも空港に行くので同じです。高級車のほうが良いですよ」
 
と普通に乗れました。
 
あんなに違いを話していたのにいいんかーーい
という、思いもありましたが、考えてみたら、運転手の方は車を変える必要がないし、私も快適だし、次の人はすぐ乗れるし、確認する時間もいらないし、みんなハッピーです。ホテルだけは損していますが。。。
 

ちょっとユルくても良いのかもしれない

そこまで細部に完璧を求めないことで、逆にみんなハッピーになったり、すこし準備の時間をへらすことができたりするかもしれません。
 
品質にこだわるのは重要だと思いますが、誰が気付くかわからないくらい細部にこだわっていても、時間がもったいないような気がします。
 
ユルさを許そう。
 
と、思います。 自分に対しても。
 
そもそも全て完璧というのは、難しいと思います。
「まあ、いいか」と、受け入れる大きな心があってもいいのかなと思います。
 
こだわりに使っていた時間を有効活用できるようになります。
 
得られる結果をきちんと確認して、同等であれば、細部は気にしないというようにしていきたいと思います。
 
 
 

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